歴史・沿革
『おりがみ会館』の歴史は1858年(安政5年)の染め紙業から
『おりがみ会館』の歴史は、1858年(安政5年)に初代 幸助が手がけた染め紙業にはじまります。
幸助は、上野寛永寺の仕事などを行う「経師」という、書画の軸、屏風、襖を表装する表具師でした。
後に幸助は和紙全般の加工技術を習得し、「染め紙屋」として、現東京湯島の450坪の土地に、3階建ての工場を作ります。
当時としては珍しいほどの大規模な工場でした。
明治時代、世界ではじめて製品としての折り紙を製造販売
明治に入ると、西洋の文化がどんどん押し寄せます。
日本の学校教育でも、明治の教育改革にともない、初代文部大臣 森有礼が、ドイツの教育学者フリードリッヒ・フレーベルの教育理念をもとに、日本の幼児教育に「畳紙(たとうがみ)」を取り入れます。その事がきっかけとなり文部省学用品課からの要請で、世界で初めての折り紙の製造販売を開始することになりました。
1900年代はじめ、落語家の故・八代目桂文楽も、16歳の時に初代幸助の使用人として工場で働いています。その様子は彼の自叙伝『あばらかべっそん』(青蛙房)にもうかがえます。
戦後、高度成長期、そして『おりがみ会館』設立
戦後には、文部省選定・標準色準拠24色折り紙を発売しました。
玩具としての「折り紙」も国内各社から発売され、世界的にも折り紙が広がっていきます。
1948年には「合名会社 小林染紙店」が設立されまました。
高度成長期に入ると、NHK開局に伴い、TVタイトルペーパー、撮影用障子なども手がけるようになります。
そして、1972年、伝統工芸としての折り紙を広く伝えていくための施設、『お茶の水 おりがみ会館』が開設されます。
1975年には教室講座も多数開始されました。
『おりがみ会館』の活動として、折り紙・千代紙の製造販売、各種講習の開催、百貨店などでの実演や展示といった会館外でのイベントも積極的に行うようになります。
1980年には和紙業界として世界で初めて、ハワイのホノルルで本格的な和紙のデモンステーションを行いました。また、パリコレクションへ参加協力するなど、海外でのイベント・式典へも数多く参加します。
講演や出版活動も精力的に行い、テレビ・雑誌などからも取材され、今もなお国内外の様々なメディアで紹介されています。
「夢枕」版権の所有
『お茶の水 おりがみ会館』では江戸時代に創案された刷り物「夢枕」の版権を所有しています。
「夢枕」とは、正月二日の夜、枕の下に敷いて寝ると「一富士二鷹三茄子」の吉夢を見るといわれ、江戸の当時大変人気をよびました。
その幻の版木が1978年の暮れに発見され、関東総司・妻恋稲荷神社の氏子の総意により、『おりがみ会館』が譲り受け、管理することになりました。
関東で最初の人形供養
1980年の10月、『おりがみ会館』が関東で初めて人形供養を開始しました。
「人形供養」はこれまで京都「宝鏡寺」のみで行っていたため、関東方面に住む多くの人達が、心のこもった古い人形の処分に困り、悩んでおりました。
そこで『おりがみ会館』が湯島天神にて供養を無料で行い、これが関東での人形供養の始まりとなったのです。
その後、上野の清水観音や、平成に入り明治神宮等でも、いづれも有料 (1体につき2~3000円)で日本各地で供養を営むようになりました。
湯島天神の人形供養は、1998年より「全日本紙人形協会」が主催となって、「湯島天神梅まつり」期間中に2014年まで実施していました。
また、神戸大震災時を契機として、心ある作家が幸せを込めて作った和紙人形の数々を、恵まれない人達や老人ホームなどへ寄贈する活動も、海外イベントのおりに続けております。
魅力的な観光スポットとして好評の『お茶の水 おりがみ会館』
『おりがみ会館』は観光スポットとしても高く評価されています。1986年には染紙・千代紙製造の老舗で日本古来の伝統技術「和紙染め」が認められ、文京区の文化遺産に指定されました。
また、「暮らしを、より豊かに、より楽しくする。伝統的工芸品を作る店」として、通産大臣により経済産業省・(財)伝統敵工芸品産業振興会指定推薦・友の会の店に指定されます。
2003年には文京区史跡観光ポイント巡り」に選定され、文京区観光協会主催「江戸開府400年スタンプラリー」に参加しました。
JTB海外訪日の日本探訪モデルコース『7人の達人に学ぶ「和」』のひとつとしても選定されました。
最近では海外のメディアやSNSで取り上げられることも非常に増えています。
NPO法人「国際おりがみ協会」設立
2006年にはNPO法人「国際おりがみ協会」を設立しました。おりがみに関する知識の習得と理解を促進し、伝統工芸「折り紙」を通して社会に貢献していく機会を広げています。
また、この年海外からの留学生研修も開始しています。